Beach Yogini

海と島と猫とワイン愛する、たまに筋トレ時々ヨガ女のブログ

April 2011

ヨガとサーフィン in バリ-海の汚染

前の日記で紹介したヨガジャーナル別冊の基本ポーズ30。バリでオロップ先生のヨガスタジオへ初めて連れて行ってくれたゆみさんに渡すことができた。バリへ着いてから急に連絡したにもかかわらず会ってくれたゆみさんありがとう。

オロップ先生のクラスへも行き、プーネで電話に出てくれたことのお礼を言うことができた。相変わらず珍しい鳥を庭でたくさん飼っていて、色んな鳥の鳴き声の中でヨガをした。なんともジャングルのような珍しいスタジオだ。

翌日はゆみさんに教えてもらったチャングーにあるDesa Seniのアヌサラのクラスに出てみた。ここは朝のマイソールもやっているらしい。宿は手作り風のかわいらしい宿で、こじんまりしたプールは欧米人でにぎわっていた。

ジャワで地震もあったので今回は海で遊ばなかったけれど、サーファー・ヨギーニのゆみさん曰く、放射性物質が海に流出されてから、千葉のサーファーは海に入らなくなり、自粛期間を経て、バリへ来ているトッププロも多いという。

こちらもバリ在住のまきまきちゃんは、海への流出が始まってから日本人は肩身が狭いと言っていた。

海外でも日本でも、震災に会いながらも日本人であることに誇りをもっていた私達。それなのに政府のせいで今や恥ずかしい思いをしなきゃならないのだ。納得できない。情報を隠蔽して国民の健康を守ろうとしないどころか、さらには日本の評判や日本人の自尊心までをも傷つけている。

すべては自分の意識と自覚あるのみだ。色んな意味で今までの生ぬるい平和ボケから目覚めないといけないのかもしれない。ここは海に囲まれ、原発をたくさん抱えた地震大国なのだ。平穏や健康は普通のことじゃない世の中になってきてしまった。そして政府は国民を守ってくれないことが分かった。

津波に備え、ゼロメートル地帯にある会社にボディーボードを置いとくべきか?フィンもあった方がいいかな?!

バリ・日本・プーネをまたいだYoga Journal完全習得シリーズ 基本ポーズ30

2008年のお正月以来のバリと、トランジットでシンガポールに行って昨日帰国。

Yoga Journalのムック、完全習得シリーズ 基本ポーズ30でお世話になったオロップ先生にも再会することができた。

このムックで、元YOGAYOMU仲間のまきちゃんと共に、巻頭および巻末ページの編集を担当させていただいた。主に私は巻頭、まきちゃんが巻末の解剖学を担当。声をかけて下さったYoga Journal日本版の編集長、山田さん、本当にありがとうございました。

YJ 30 Poses

柳生先生は撮影とインタビューの翌日にインド・プーネのアイアンガー道場へ行く予定で、宿泊先のホテルにFAXまたはメールして、記事を確認してもらうことになっていた。

ホテルにFAXするもつながらなく、メールも添付が送れない。電話でホテルに聞いたらFAXが壊れてるという。取り急ぎ、3日位で着くらしいEMSで原稿を送り、その旨を柳生先生に伝えたかったが、まだ部屋に帰っていないという。

「今、Naokoの友達が来たから代わります」とホテルの人から受話器を受け取った人は、バリ島のスミニャックでアイアンガーを教えるオロップ先生。YOGAYOMUでも取り上げたことがあるあのオロップ先生だった。「Naokoはあと1時間くらいしたら帰ってくるよ」と教えてもらう。

次に電話したところ、柳生先生と同行されていた、大阪でアイアンガーを教える相澤三千代先生が出てくださった。いざとなったら相澤先生のPCに添付を送ることになった。

結局EMSが4日ほどで無事に届き、柳生先生にレビューいただいて、これまた同行の別の先生が日本で郵便を投函くださり、色々な人のおかげで校了することができた。

掲載号が届いたのが3.11の地震の日。不在通知が入っていて私が手にしたのが翌日だった。

記事の中で、シャヴァーサナについて先生が説明している部分がある。一部要約するとこのようなことだ。

「シャヴァーサナは屍のポーズとか亡骸のポーズという意味。でも死はネガティブなものではなく、精一杯生きた末に誰もが到達する人生の最終目的地。シャバーサナは人生で所有してきたものや、死への恐怖を捨て、自分と向き合う瞬間」

このムックは初心者も読むかもしれない、どちらかというとポーズ教則本的な本。いきなり巻頭ページでシャヴァーサナのことばかりにフォーカスするのもどうかと思ったが、柳生先生が今回特にしきりに説いていらしたのもあり、デザイン的に別のくくりで分けてもいいかなという流れになり、結果としてちょっと大きく取り上げられることになった。

そして地震の直後、本当に死が身近に感じられたタイミングに出来上がったこの本。

精一杯生きてきて、でももっと生きたかったであろう人々に対し、今は静かな境地にいて欲しいと思うと同時に、その死を決して無駄にしてはならないと思う。

地震の教訓(2)備えあれば憂いなし

長引く原発問題ゆえ、被災地でない東京でもいまだ、心から安心して過ごせるかというとそうではない。さらには、ここのところ南下している余震。茨城県南部や千葉県で大きな地震があったら東京だって津波がくるかもしれない。

最初の地震から1週間くらいで私が用意したものは、避難キット。中身はこんな感じだ。

懐中電灯、ラジオ、軍手、マスク、バンドエイド、常備薬一式、生理用品(布ナプ含む)、ティッシュペーパー、ペットボトルの水、保存用のクラッカー(リッツ)、猫のエサ、タオルボールペン、etc…

揃えただけで、なんだか安心した。それこそ、「備えあれば憂いなし」ってことだ。

浴槽にも常に水を張ってある。うちの地区は幸い計画停電から外れているが、電気が止まったら、マンションの上の水槽からポンプで水を引けないので断水となる。その時にトイレを流すためにも使える。インドネシアのド田舎を旅したことあるので、手桶でトイレを流すのは結構得意だ(笑)。

東京都の水道水からヨウ素が検出され乳児の飲料制限が出て以来、いまだに近所のスーパーはペットボトルの水がほとんどない。2リットルはほぼ売っていない。ドラッグストアに500mlのものが最近入っていたが「一家族で4本まで」とある。トイレットペーパーも昼過ぎには売り切れてしまっている。

かなり用心深い私は、地震の直後に蒸留水器を購入。水道水摂取制限の出た翌日くらいには入手することができた。これを使うと「ほぼ」放射性物質は除去されるらしい。蒸留すれば使用済みのお風呂の水も飲料にすることができる。

換気もあまりしたくないので、空気清浄機も買った。猫がいるのでずっと買おうと思っていたけど今回がいいきっかけになった。空気清浄プラス加湿機能17畳用のかなり大きなもの。

家電ばかり買いこんで、節電と間逆を行っている感じがするが、そもそも昼間は誰も家にいないし、暖房便座も節電のために切った。ホットカーペットもない。洗濯機の乾燥機能も元々あまり使わないし、電気ポットは引越しの際に捨ててきた。エアコンは外気が入るし電気を食うが、しょうがないので朝晩は使ってるけど。

民間療法と言われようがなんだろうが、ヨードの多い根昆布でだしをとり、マスクをして歩く毎日。せめて内部被曝だけでも避けたいものだ。

放射線に関して詳しくなるなんて、そんな必要ないまま終わりたかったんだが、やっぱりこれは知るべきだったんだ。情報操作されていた原発のリスクを。実際、原発では少しずつ日々放射能をもらしていたなんて、誰も知らなかったと思う。

地震の教訓(1)スニーカーぶる~す

今回の地震からいくつか学んだことがあるのでそれを書いてみる。

まずは今後の地震に備え、スニーカー通勤を始めたこと。難点は服に合わせてヒールを持ち歩かねばならぬことくらいか。リーボックのEasy Toneを1週間はいてみたが、帰宅後の足腰の疲れが全然違う。

ここからはスニーカー通勤につながる地震回想録。

3月11日の地震は東京でも震度5強の揺れで、一人だったら泣いていただろうと思うほど怖かったのはもちろんだが、ワンセグ携帯を持っている人がTVをつけ、大津波が東北地方を襲ったこと、首都圏全部の電車が止まったことが分かった。

香港のマネジメントにメールして、巨大地震発生で今なお余震が続いていてこれ以上今日は業務を継続できないことを伝えた。その後、交通機関がストップして、皆、徒歩で帰宅することなどを連絡。

私は電車が動くまでオフィスにとどまろうと思った。引っ越したばかりで家までの道も分からないし、余震におびえながら歩く自信がなかった。歩いている時に大きな余震が来て、古いビルからガラスや瓦礫が落ちてきたらヘルメットなしでは危険だ。

ダンナには何度メールしても返信がなく、やっと届いたメールはFacebookのメールだった。結局、私のオフィスの割と近くの客先にいたダンナにオフィスまで来てもらい、朝まで電車の運転再開を待つことに。同僚は皆徒歩で帰ったため、誰もいないし気楽だ。

一度ダンナのオフィスへ向かおうとした私は、1時間半強くらい歩いただけでヘトヘト。6cmヒールのブーツじゃしょうがない。あと2時間か3時間、これから家まで歩いて帰るのは無理だと思った。

「ただいま」と私のオフィスに入ってきたダンナ。
「ダンボールない?」
「え?ほとんど書類入ってるけど。あ、少しある。」
数枚つぶしたダンボールを見つけダンナに渡す。

おもむろにそれを敷き詰め、靴を脱いで横になりかばんを枕にマジ寝を始めた。震度3、4レベルの余震がガンガン続いているにもかかわらず、高イビキをかいて寝ている。しかも人の会社で!

「ねえ、嫁を守ろうって気が一切ないでしょ・・・。」
「Zzzzzzzzz・・・。」

私が軽く殺意を覚えたのは言うまでもない。脳裏に離婚届の紙が浮かんだ。「いざ」というときには、おおらかな性格が役に立つだろうと思っていたのだが、どうやら奴にとってこれは「いざ」ではないらしい。

私はひたすら夜中じゅう、Ustreamで配信され始めたNHKやTBSのニュースを自分のデスクで見入っていた。PCでTVが見れるのは本当にありがたい。電車は夜中には動き出したようだが、猫の様子も近所に住む弟に見に行ってもらい、ご飯も上げてもらったので、翌朝明るくなってから帰ることにした。

私は椅子を2つつなげて2時間くらい仮眠。ダンナはダンボールマットで爆睡。

翌朝、家の最寄り駅まで電車は通っていなかったので、途中駅で下車して歩くことに。帰宅困難者となった大勢の「朝帰り」の人と一緒に橋を渡りつつ急に思い出した。

「そういえば今日は結婚記念日だ・・・。」

なんとこの甲斐性なしのバカ夫と、11回目の結婚記念日に一緒に帰宅難民とは・・・。これを何かの縁と受け止めるか、人生考え直す機会ととらえるか、結論はまだ出ていない。

多くの人の命が失われた震災で、東京にいる私たちは、放射能問題はあれど、とりあえず無事で家もあり食べるものもあるだけでありがたい。残りの人生、できるけ健康に平和に過ごしたい。今はそれしか考えられない。自分の小さな幸せとか、意外とどーでもよいことなのかもしれない。

震災から3週間

バックデートして色々書きたいことはあるが、とりあえず震災から3週間が過ぎた。この3週間、本当に色々なことを考えされらた。

東京は被災地とはいえないけれど、すぐ隣の千葉の浦安の液状化現象とそれに伴う長期の断水は他人事じゃない。さらに原発事故で、東京の外資系は大阪へ本社機能を移すところも出てきている。特にドイツ系とフランス系。

ダンナの会社(米系)の本社は東京への出張禁止令が出されてるそう。

ウィルスとか細菌はあまり気にしない性格の私でも、さすがに放射能はよく分からないだけに怖いので、外出時はマスク着用。帰宅したらナイロンコートを玄関先で振り払い、家に入ると猫が脚にスリスリする前にすぐシャワー。

都内でマスク着用者は徐々に減り、私のオフィスのある港区近辺では、今は町を歩く人の1/4くらいだろうか。

デマだとか、風評被害だとかいう言葉が出回ってるけど、政府の怠慢と情報操作、どれだけひどいか。もう、こうなったら自分で情報を得て、自分を防衛するしかないんだと思う。

そんな中で私が信頼できると思うのが大前研一氏と中部大学の武田先生。大前氏は40年ほど前の原発プラント設計者であり、まさに福島原発の設計を知る人。武田先生は過激でなく保守的でお父さん目線で国民を守ろうという気持ちが共感できる。

早くカフェのテラスで、安心してランチビールできますように。

その前に、被災地の人達が心身共に元気になられ、少しでも快適な生活を、少しでも早く取り戻せますように。
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